2019.08.22

【水戸の歴史 其の拾陸】助さん&格さんのモデルとなった人物

“水戸黄門”は、水戸藩第2代藩主 徳川光圀に対する隠居後の別称です。

テレビ時代劇「水戸黄門」では、黄門様のお供として助さん&格さんの2人が登場しますが、そのモデルとなった実在の人物は、助さん=佐々介三郎、格さん=安積覚兵衛とされていて、いずれも光圀の側近です。

テレビ時代劇(ドラマ)においては、黄門様(光圀)と助さん&格さんを中心とした登場人物がそろって諸国漫遊を行いますが、実際にそのような史実はなく、また光圀のみでの全国規模の旅も行っていないため、テレビ時代劇(ドラマ)の漫遊記なるものは全くフィクションであると言わざるを得ません。

佐々介三郎と安積覚兵衛には、『大日本史』の編纂という大事業に従事した使臣、それも極めて有能な使臣という共通点があるそうです。佐々も安積も武士(藩士)でしたが基本は学者であり、光圀の護衛が務まるほどの武術を備えていたとは考えにくいと言われています。

 

佐々は光圀より12歳若かったのですが、光圀が73歳(数え年、以下同様)で死去する2年前に59歳で亡くなりました。

しかし、亡くなるまでの約2年間は、藩主引退後に西山荘へ移住した光圀に近侍しており、それ以前は『大日本史』編纂所である彰考館の総裁を務めていました。

佐々は、光圀の命で全国各地へ資料採訪の旅に出ています。

訪れた各地における活動は、光圀の代役として人々に尊敬されるような手順・方法で行われたそうです。

名君誉れ高い光圀の家臣として各地で歓迎され、時にはその地での困りごとや問題の解決に一役買ったこともあるかもしれません。

それらのことが、佐々&安積を黄門様のお供である助さん&格さんとして、諸国を旅する黄門様御一行が人々の難儀を救う活躍話に“さもありなん”と思わせたのでしょう。

しかし、安積はほとんど彰考館詰めで、佐々のように旅へ出ることはなかったそうです。

 

安積は光圀より28歳も年少で、光圀の有能な使臣として『大日本史』編纂に尽力しました。

複数制の彰考館総裁を佐々とともに務め、“光圀の没後、有能な使臣がつぎつぎと死没していく中でひとり82歳の長寿を保ち、54年の長期にわたって修史事業に全精力を傾け、最も顕著な業績を残した”(「水戸市史 中巻1」)と評されています。

世直しの旅をする黄門様と助さん&格さんの活躍を観る上では少々拍子抜けとなってしまったかもしれませんが、10月からのテレビ時代劇「水戸黄門」を楽しみにしましょう。

公益財団法人常陽藝文センター・発行『常陽藝文 2010年10月号』参照

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