2019.10.17

【水戸の歴史 其の弐拾肆】最後の将軍 徳川 慶喜 ―幼年時代―

天保8(1837)年、徳川慶喜は、水戸徳川家第9代藩主 徳川斉昭の7男として、江戸小石川の水戸藩上屋敷で生まれました。母は、正室の登美宮吉子です。

江戸時代、大名には参勤交代が課せられていましたが、御三家の1つである水戸藩は特別で、藩主が江戸に定住し、必要な際には幕府の許可を得て帰藩する定府制でした。一般の大名でもその正室や家族は江戸で生活するのが原則だった為、七郎麿(慶喜の幼名)が江戸で生まれたのはごく自然のことで、通例ならそのまま江戸で育つところでした。

しかし、水戸徳川家には、子どもが江戸で育つとどうしても華美な風習に染まり柔弱になるため、幼い時の教育は国元の水戸で行う、という教育方針がありました。実際は長期間行われていなかった方針でしたが、斉昭は幕府に願い出て復活させました。

七郎麿は、まだ生後7ヵ月足らずの天保9(1938)年4月、江戸の父母の元を離れて水戸に移りました。

そして、弘化4(1847)年8月、11歳で一橋家相続のために江戸を出るまでの9年余りを水戸で過ごすことになります。

公益財団法人常陽藝文センター・発行『常陽藝文1997年12月号』参照

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