2019.10.10

【水戸の歴史 其の弐拾参】徳川昭武 海外留学を果した慶喜の弟

昭武は、嘉永6(1853)年、徳川斉昭の18男(慶篤、慶喜は異母兄)として、江戸駒込の水戸藩中屋敷に生まれました。

幼名は余八麿といい、生後6ヶ月で水戸に移り、兄弟と共に国元で教育を受けます。

元治元(1864)年、禁裏守衛として京都本圀寺に詰めていた兄 松平昭訓が病死したため、上京しその役を代わって務め、慶応2(1866)年、兄 慶喜が15代将軍となった際には、フランスの博覧会へ名代として派遣されました。

博覧会後もフランスに残り修学に励んでいましたが、幕府はその間に瓦解、また水戸藩では慶篤が病没していたので、帰国して水戸藩主にならざるを得ませんでした。

明治9(1876)年、アメリカへ博覧会の御用掛として渡米、そのままフランスに渡って第2次留学をし、同15(1982)年には茨城県北部の大能(現在の高萩市大能)で、牧場の経営を行いました。

17(1984)年、松戸の戸定に邸を構え隠居所とし、ここを訪れた兄 慶喜らと写真や狩猟などをして過ごしたそうです。

茨城新聞社・発行『茨城 歴史人物小辞典』参照

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