2019.08.08

【水戸の歴史 其の拾肆】水戸藩の大事業 「大日本史」の編纂

写真は、『大日本史』の編纂に尽力し彰考館総裁も務めた、安積覚兵衛こと安積澹泊の銅像です。彰考館(現在の水戸市立第二中学校)跡付近に建てられています。

澹泊は、ドラマ『水戸黄門』の中で黄門様にお供する格さん(渥美格之進)のモデルであると言われています。里見浩太朗さんや伊吹吾郎さん、一番最近では的場浩司さんなど、格さんを演じてこられた歴代の俳優さんをみると、腕っぷしが強そうなイメージがありますが、澹泊本人は根っからの学者肌だったようです。

83歳で亡くなるその直前まで『大日本史』編纂に関わり、多大な業績を残しました。


光圀は明暦3(1657)年に、江戸駒込の水戸藩邸に史局を開設して『大日本史』の編纂を始めました。

寛文12(1672)年には江戸の小石川藩邸に史局を移して彰考館と改名し、全国に史館員を派遣して史料を集めます。

史館員の中には、時代劇「水戸黄門」の助さんのモデルとなったとされる佐々宗淳(通称 介三郎)や格さんのモデルとなったとされる安積澹泊(通称 覚兵衛)も含まれていました。

光圀は、元禄3(1690)年に西山荘に隠居しましたが、この修史事業に一層力を注ぐようになります。

元禄11(1698)年には水戸城内へ主要な館員が移されて水戸彰考館が発足し、この事業が促進されました。

そのような中で光圀は、元禄13(1700)年に73歳で亡くなりました。

そして『大日本史』は、光圀の死後も編纂が続けられ、明治39(1906)年まで実に250年の歳月をかけて完成します。

全397巻、226冊に及ぶ水戸藩の大事業となりました。

偕楽園公園を愛する市民の会・発行『偕楽園なんでも百科改訂版』参照

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