2019.08.01

【水戸の歴史 其の拾参】蝦夷地渡航の快風丸

   写真は、徳川光圀公の肖像画です。ドラマなどだと、頭巾をかぶってひげをたくわえて…のイメージが強いので、また違った印象を受けますね。

さて、水戸市では毎年8月初旬の金曜から日曜にかけて、「黄門まつり」が開催されます。

1日目の夜は花火大会、2日目には水戸黄門パレード、3日目には山車巡行・・・などが行われます。

 

どうぞ足をお運びくださいませ。


光圀が藩主となった頃、水戸領の農民は、貧しく生活は質素でした。

光圀は、財政の上でも物事の根本や道理をはっきりとわきまえており、自ら倹約に努めていました。

一方で、必要な事業等には惜しみなく使っていたようで、快風丸による蝦夷地探検などもその1つです。

寛文年間から大船を建造して何度も蝦夷地へ渡航させましたが、なかなか効果は上がらなかったようです。

元禄元(1688)年に、総長27間、幅9間、60艇の櫓を持つ巨船 快風丸は、67人の士民を乗せ、2月に那珂湊を出帆し松前を経て、6月末に石狩へ着船しました。

その後、米や酒等を交易し、蝦夷人から塩鮭20,000本、熊やラッコの毛皮などをおくられて12月に帰港。

地理・物産・住民の風俗・習慣・言語・治安・義経伝説など、内容の幅広い報告書が提出されました。

それ以降は、光圀が隠居したため就航しませんでした。

この快風丸の蝦夷地渡航の目的は、探検か交易かあるいはその他にあったのかはいまだに謎とされています。

名越時正・著『新版 水戸光圀』参照

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