2019.06.06

【水戸の歴史 其の陸~前篇~】藩主 頼房の水戸城大修築

p1010932 現在の旧水戸城二の丸側から本丸側を撮影した写真です。

本丸と二の丸の間には深い濠があり、その間を結ぶのが本城橋です。

本城橋を渡った先に、現存する旧水戸城唯一の建造物橋詰門(薬医門)がありますが、当時の面影そのままの姿はなかなかの見応えがあります。

また、本城橋から濠の底をのぞくと、JR水郡線の線路が確認でき、時間が合えば列車が走る姿も見られます。


水戸藩は、藩主が江戸に定住する定府の藩だったので参勤交代の義務がなく、必要な

ときに将軍の許可を得た上で帰藩していたそうです。

初代藩主 頼房が初めて就藩したのは、元和5(1619)年10月、17歳の時でした。

頼房自身による水戸城の大修築は、寛永2(1625)年の第2回就藩の頃から開始され、

寛永15(1638)年頃までにほぼ整備が完了したそうです。この水戸城大修築におい

ては、佐竹氏時代の二の丸を本丸として城の中心とし、城郭の各部分はおよそ以下

のように整備されました。

 

徳川頼房像1

徳川頼房像

○本丸と下の丸を結ぶ坂を上がったところ(現・飛田穂洲の銅像付近)にあった江戸氏時代の大手門を、中御門として使用したようです。

○本丸の北西隅と南西隅の崖端上に物見櫓が建てられたとのことです。

○本丸と二の丸との間に木製の本城橋がかけられましたが、本丸側の橋のたもとには佐竹氏時代に建てられたとされる橋詰門(薬医門)があり、そのまま徳川家水戸城 本丸の御門として使用されたとのことです。

二の丸 ・・・ 現・水戸市立第二中学校、茨城県立水戸第三高等学校、茨城大学教育学部附属小学校敷地一体
本丸 ・・・ 現・茨城県立水戸第一高等学校(以下、水戸一高)の校舎が建ち並ぶ敷地一体
下の丸 ・・・ 現・水戸一高の運動場敷地一体
三の丸 ・・・ 現・弘道館、水戸市立三の丸小学校、茨城県庁三の丸庁舎他敷地一体

但野正弘・著『水戸城本丸史談―この丘の星霜―』参照

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