2019.05.09

【水戸の歴史 其の弐】佐竹氏

水戸城薬医門2 写真は旧水戸城薬医門で、旧水戸城の現存する唯一の建造物です。

建立は安土・桃山時代と推察されており、佐竹氏が水戸城を支配していた時期ではないかとされています。

昭和56年(1981)、現在の位置(旧本丸跡地近くとされる県立水戸第一高等学校の敷地内)に移築・復元されました。


天正14(1586)年、佐竹家第20代当主 義宣は、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、その落城後は戦功によって常陸および下野、奥州の一部など、21万6758寛文の領地を秀吉から公認され、常陸の旗頭としての地位を獲得しました。

そして天正18(1590)年12月、義宣の父 義重が佐竹軍を率いて江戸氏の居城であった水戸城を急襲し城を陥落、水戸城は佐竹氏の手中に入りました。

その頃義宣は上洛中であり、天正19(1591)年早々に豊臣秀吉から羽柴の姓を与えられて「羽柴常陸侍従」と呼ばれるようになります。

まもなく京都から帰京した義宣は、同年3月20日に正式に水戸城に入城しました。

但野正弘・著『水戸城本丸史談―この丘の星霜―』参照

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