2019.05.23

【水戸の歴史 其の肆】佐竹氏と関ヶ原の合戦

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写真は、茨城県常陸太田市にある佐竹寺です。

大同2(807)年、または寛和元(985)年の創建とされています。

鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配していた佐竹氏

発祥の地であり、源義光の孫である初代 佐竹昌義により佐竹

氏代々の祈願寺とされました。

天文12(1543)年に兵火により焼失してしまいましたが、

その後同15(1546)年に18代 佐竹義昭により再建され、

現存する本堂は当時の面影を残した貴重な文化財です。


水戸城攻略を行い、水戸城城下を整備し、領内経営に乗り出した佐竹義宣でありましたが、佐竹氏の運命を大きく変えたのは、慶長5(1600)年の関ヶ原の合戦でした。

佐竹義宣は、家康派と三成派の間にあり、かねてより親交のあった三成と密約を交わしていたようです。

そのことから佐竹義宣は秋田へ国替えとなりました。

これにより、佐竹氏による水戸城支配は、天正18(1590)年暮れから慶長7(1602)年6月までの実質12年間で終わりを告げ、以後水戸を中心とする旧佐竹氏領は徳川氏の支配となります。

水戸城は新しい時代を迎えていくこととなり、家康による大名配置の中で、江戸に近い水戸領は東北諸大名を意識したものとして重要視されました。

但野正弘・著『水戸城本丸史談―この丘の星霜―』参照

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