嘉永元(1848)年、12歳の慶喜と摂家・一条忠香の娘 千代との縁談がまとまり、婚約となりました。
しかし慶喜17歳のとき、先方の病気による辞退で解消されます。これは、千代が天然痘で醜いあばた面になったためと言われています。
一条家からはすぐに、公卿の今出川実順の妹 延を養女として嫁がせたい、と申し入れがありました。
それを受け、同女との婚約が成立しました。
延こそが、安政2(1855)年、慶喜19歳のときに結婚した正室 美賀(延から改名)です。
慶喜より2歳年上の花嫁でした。
公益財団法人常陽藝文センター・発行『常陽藝文1997年12月号』参照
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