黄門様像は水戸市内に何か所かありますが、
上の写真の黄門様像は、茨城ではあじさいの名所として名の知れた庭園、保和苑(水戸市松本町)のものです。
ちなみにこちらの庭園は、黄門様によって“保和園”と名付けられたそうです。
保和苑及びその周辺では、6月~7月初旬に、水戸のあじさいまつりが開催されます。
ぜひおでかけいただき、黄門様の愛した風景をじっくり味わってみてはいかがでしょうか。
『伯夷伝』を読んで強く感銘を受けた18歳の光圀は、読書にめざめました。
その目的は古典を読んで直接古人に学ぶことでもあったようです。
水戸藩には、人見卜幽や辻端亭などの儒者がいましたが、彼らはどちらも京都の人で、頼房に仕え、同時に光圀の侍読となっておりました。
光圀は学問に志を立て、日夜古書を読み、暇さえあれば和歌を作り、同志の友を求めつつあったとのことです。
20歳を迎えた7月7日の七夕の祭に、光圀は一編の漢詩を作って天に祈りました。
その最初に、
私はこの頃「仁宗勧学文」なるものを読んで、「無学の人物の比倫に堪ゆるなし」という句を見、呆然として巻をふせて歎じました。 私は今既に20に達したが、学問はまだまだものになっていないことを省みると慚愧にたえない。 伏して願わくば二星よ至誠をもって祈るこの私に、神霊に垂れ給い何とぞやがて国中にその学問・見識を発揚し、 その文章をもって外国にまで我が国の威名を輝かすことができますように。
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という熱烈な志願の表明がありました。
光圀は、「仁宗勧学文」の短文に発奮させられて、学問を以て天下に役立とうと願ったのでした。
志が高ければ高いほど、その学問は伸展し、その見識はいよいよ高められます。
自覚してから3年目の光圀は、このように高い理想を追って邁進していました。
名越時正・著『新版 水戸光圀』参照
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